世界50ヵ国以上を旅した思い出

高校生の時に初めて海外へ行き、その時から旅の虜に✈️🧳

モートン島へ日帰り旅行

こんばんは。


久しぶりにブログを書きます。

ブログを始めてすぐに、翻訳の仕事で忙しく、なかなか旅の思い出を綴る時間が取れないでいました…😓


ブログの続きで、初オーストラリアの部屋を追い出された後の1週間は観光でブリスベンから行ける観光地へ行くつかいきました。


そのひとつがモートン島でした。


ホームステイ先のホストマザーが、電話でフェリーを予約してくれたはずだったのですが、フェリー乗り場について、予約してもらったと伝えましたが、予約は入っておらず…😓


スタッフのお姉さんが、空きはあるから大丈夫よ🙆‍♀️っと無事に日帰りのチケットを購入でき、モートン島へ。


平日だったこともあって、観光客もまばらでした。

ビーチはとても美しかったです😌


特に何の予定もしていなかったので、ビーチで過ごしました。


ビーチで数独(sudoku)をする女性と簡単な会話をしたり,のんびりまったりと過ごしました。


帰宅時、ちょっとしたハプニングが起こりました…💦


続きは明日以降に❣️

学校が終わった2週間後,部屋を追い出される…😱

オーストラリアのホームステイ経験は始まりから終わりまで、散々な体験をしました😱


これは東大阪の大通りに面する場所に堂々と旅行会社を出し、大した英語力もないケチで欲張りな男が語学学校との連絡役をしたために起こった災難です😡


お母さまは、「学校へは2週間しか行かないんだから負けてあげたら?」と言ってくれたにも関わらず、できないの一点張り😖


それでも,英語ができるならと信用した私が馬鹿でした😭


そして、ホームステイ先の部屋を叩き出されたと言うことは、学校とホームステイどちらも2週間しか払っていないことになります…😤


新しい日本人が日本からスーツケースを持ってホームステイ先に来ると、あなたは荷物をまとめて部屋から出てちょうだい、っと…😰


どこに泊まるかなんて英語ができない私には、探す術もお金もない…🫣


っと言うことで、ホームステイ先のラウンジで1週間寝ることになりました😓

オーストラリアのホームステイ先

高校時代のニュージーランドでのホームステイ先は温かい老夫婦でご飯も美味しく、週末もいろいろ連れて行ってくれる素敵なホストファミリーでした。


オーストラリアでもそういった温かいホストファミリーを期待していたのですが、ホームステイ先は選べず、当たり外れも大きいです…💦


残念ながら、オーストラリアの初ホームステイ先は、お世辞でも良いホストとは言えませんでした。


後にホームステイはビジネスで、子供たちが巣立った後の空き部屋を利用してのお金稼ぎの人たちもたくさんいると聞きました。


おそらく、私が入ったこの宅のホストマザーもお金稼ぎが目的だったと思います😓


到着後、お部屋に案内されました。


部屋は広くてゆったりしていました。


英語が高校時代からほぼ変わらないレベルだったので、何かが欲しい時はこういうのよ、っといった表現方法は教えてもらいましたが、夕食時以外はほとんどコミュニケーションをとることもなく、ホームステイ先と学校の往復でした。


お買い物に連れて行ってもらっても、私が普段飲まない安物のコーディアル(水で薄めて飲むソフトドリンク)を私用に購入し、自分にはダイエットちゅうなのか、ミネラルウォータを買っていました。


夕食は毎日私の苦手なセロリが入り、お世辞にも美味しいとは言えないダイエット食⁉︎🫣


毎晩セロリが夕食に出てきて…😰


ニュージーランドでの夕食とは雲泥の差😱


ランチはサンドイッチを自分で作るか、学校で購入したものを食べていました。


ホームステイ先の話をクラスメイトにすると、皆んなに可哀想だね、ハズレのホストだね、と言われましたが、3週間の短期で英語もままならない状態だったため、そのままのホームステイ先で過ごしました。


週末のある日、ホストマザーの友人で、日本人男性をホストするというホームステイ先に連れて行ってもらいました。


その日本人にも、ご飯がまずいのは辛いね〜、と言われました。


その日は、彼のホストマザーの作る夕食をご馳走になりましたが、いたって普通の食事だったのでホッとしました😮‍💨


ただ、このお宅の食事では、フォークとスプーンは使えたのですが、ナイフがない…😳


そこで過ごす男性に聞いたところ、毎日どんな料理でもナイフがないので、大きめの食材でも切ることができない、っといってました🫢


ブリスベンの滞在でしたが、ホームステイ先、いろいろ問題ありのホストが多いのかしら、っと思ってしまいました😨