2005年の渡豪、ワーホリ①
2003年にタイ経由で日本に帰国後、日本ではホテルや電話業務のアルバイト、派遣社員として働いた後、再び渡豪。
日本で知り合ったオーストラリア人の「オーストラリアに来て働いてみては?」
と言う言葉でワーホリビザを取得後パースへ✈️
到着後、仕事探しには携帯が必要ということで、知り合ったオージーにお手伝いしてもらい携帯を購入。
が…
当時の携帯、日本で見たこともないような手のひらサイズの分厚くて楕円形の小さい携帯…😱
子供用の携帯⁉︎😵💫
おもちゃ⁉︎😰
と思えるほどの小さいスクリーンで、使えるかどうか信用することができず、購入後にその人に実際に電話をかけてもらって、使えることを確認。
一応使えそう😮💨
購入時にお手伝いいただいたオージー曰く、「通話料が$10だか$20だかが付いてその値段はお得だよ」
っと言われて購入したが、お得感全く感じない当時でも日本だと博物館ものの古い機種…😵
まあ、でも知り合いもほとんどいないし、仕事の連絡先として使うだけなので、お勧めされるまま購入した。
パースではホステルに宿泊し、ホステル内での仕事を探すも🔍
「受付も掃除も今手一杯で空きがない」
「1ヶ月後には掃除の空きが出る予定なので、1ヶ月後に戻って来れば仕事をあげるよ」
とホステルのマネージャーに言われ、再び仕事探し。日本語で書かれた雑誌の求人募集欄で探す👀
ロットネスト島🏝️のキッチンハンド募集を見て早速携帯で連絡。
電話口のスタッフは日本人で、日本語での説明🫢
オーストラリア到着後、すぐに仕事が決まった😌
時給は税金引かれた後、$3.5とあり得ない値段。食費と宿泊費差っ引かれた状態での時給らしいのと、観光地なので、祝日は観光もできると言うことで、3週間の予定でバイト決定☘️(2005年前半当時の最低賃金は$15.92だったように記憶している😅)
実際キャッシュジョブではなく、$5の時給から$1.5の税金が引かれた手取りの時給だったので、食費や宿泊費も会社が税務署に処理している感じだった🤭
税務署への申請が必要になるタックスファイルナンバーが必要となり、後日休みの日にその書類を取りに行くためにパースに戻らなければならなかったので…😵💫
数日後に荷物をまとめてパースからフェリー乗り場へ移動してロットネスト島へ🏝️
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