2005年の渡豪、ワーホリ⑤
ロットネスト島での3週間の生活を終えて、パースへ戻った。
ブロガーさんとのやり取りの中で思い出したが、宿泊先には、なんとベッドがなかった…。
ロットネスト島での住み込み部屋はホステルのドームルームと同じタイプのシェアタイプで、数人が部屋を共有する。
いわゆる寝るだけタイプの宿泊。
そして、ベッドがなかった😅
お酒などを入れるダイス状のケースを下に引いて、その上にマットレスを敷いたものだった😆
ワーホリ時代の若い頃だったから、なんでもありだね🤭
ともあれ、パースに戻って、お掃除付きのエクスチェンジのお仕事。
ワーホリメーカーの間では、オーストラリアでは、「フリアコ」と呼ばれるもの。
初めて広告見たら、なんのことかさっぱりわからん…💦
フリーアコモ(無料宿)の略で、NZやカナダにもあるけど、呼び方が変わるのは面白い🤣
お金は基本もらえないけれど、宿代を浮かす事ができる。多くのホステルでは、こういうタイプの人たちが宿で働いている。
条件は、レセプションとクリーナーのポジションや宿によってもまちまち。
私が働き始めた宿は、基本2時間毎日。3シフトあったかなぁ〜⁉︎
朝、キッチンとラウンジのお掃除、廊下とトイレのお掃除、ベッドメイクの3ポジション。
宿泊先には、バンクベッドがあって、6人ぐらいでシェアしてたと思う。
綺麗好きな子は、シャアハウスを探して出て行ってたね〜。
ホステルは、基本的には一時的な旅行者が利用する宿だけど、私みたいに働きながら長期にわたって住んでる人もいたし、外での仕事が見つかってお金を払いながら住んでる人もいた。
朝食は安っぽい食パンと砂糖たっぷりの怪しい赤いジャム、ベジマイト(野菜を発酵させたもの、日本でいうお味噌のようなペースト)、インスタントのコーヒーと紅茶が無料だったかなぁ〜🙄
牛乳は自分で購入しないといけなくて、牛乳使う人たちはよくシェアの冷蔵庫から牛乳を盗まれてたなぁ〜。
いろいろ事件が起こるホステルだけど、ひょんなことから、お金もらえる仕事も舞い込んだ(^^)
ラッキーだったね。
時給は最低賃金の15.92ドル(2005年)。
当時の日本だとこの値段は派遣でも大阪だとかなりいいほうのお給料のお仕事だった。
印刷会社でのカジュアル(日本でいう単発バイトみたいなものかなぁ〜)での仕事で、次の日の保証はない、って仕事。
忙しい時だけ呼ばれるポジションだから、最低賃金が高かった😅
まあ、最もワーホリでバイトを探すことになれば、カジュアルのポジションがほとんどだけど…💦
英語がネイティブのイギリス人のワーホリメーカーは、事務職でもっともらって働いている人もいたけどね😊
英語ネイティブでも自分の国でやるような事務職はつまらないみたいで、彼は珍しいパターンのワーホリメーカーだったけど。
ホステルでは、本当にいろんな人に出会ったなぁ〜🤭
いろいろ事件も含めて紹介していきます🎶
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