世界50ヵ国以上を旅した思い出

高校生の時に初めて海外へ行き、その時から旅の虜に✈️🧳

2005年の渡豪、ワーホリ④

こんにちは


オーストラリアでのワーホリ生活思い出日記📔

続きます🤭


観光スポットであるロットネスト島🏝️では、休みの日にビーチに出かけたり🏖️


島を歩いて一周することもありました😌

いたるところにビーチ⛱️があるので、ランチを持って出かけたり、休み休み歩いて帰宅😅


「ザ・キング」と呼ばれる真っ黒いトカゲ🦎がビーチの砂の上に置いたランチの食べクズを持ち帰ったり(コーン🌽の芯とかだったかなぁ〜🤭)


フェリー乗り場近くのカフェには、可愛い孔雀の赤ちゃんが母親と訪問していたり🥰

ミニチュア版孔雀🦚


ちゃんと頭に冠👑⁉︎のようなものが乗っかってるのを微笑ましく見ていたり👀


ソルトレイク(塩湖)もありました💓


職場すぐそばでは、エイが泳いでいるのを見ることもできました👀


職場からバイト仲間みんなで自転車🚲を借りてビーチに行こうとした時もありました。


が🥹


マウンテンバイクしかなく、乗ろうとしたのですが、出発前に転けてしまい…😅


仲間の1人が私と一緒に近場のビーチに一緒に歩いて行ってくれました😌(残りメンバーは予定通り自転車🚲で遠めのビーチへ)


近場の浅瀬のビーチでも色鮮やかな魚たちをたくさん見ることができました🐟🐠🐡


🐳や🐬が見えると言われるスポットに何度か歩いて行ったこともありましたが、なんとな〜く🐬が見えたかなぁ〜、程度で🐳にはお目にかかれませんでした🥹


無料のボランティアガイドによるウォーキングツアーにも何度か参加しました🥰


3週間で目一杯いろんな体験をしたロットネスト島🏝️


クォッカで有名な島ですが、それ以外の可愛い生き物との触れ合いの方が記憶に残っています🦎🐠🐬☘️


観光客の多くは、可愛いからと自分が食べているものを与えたりするのですが、野生動物にとってはあまり良くないんです🥹


お腹を壊してしまうので、本当は餌をあげてはいけないのですが😰


無料のウォーキングツアーで知り合った人と一緒にその後過ごすこともありました🎶

ウォーキングツアーもボランティアガイドによって、毎回同じ内容ではなかったので😊


スペイン人と一緒に過ごした時は、彼女はトップレスで過ごしたり海に入ったりしていました😌


男性がビーチに増え始め、彼女をちらちらと見始めた後は、👙をつけてましたが…💦


島内を走るバス🚌

ある時島内を歩いていたら、その日は無料で乗れるということで、乗せていただいたこともありました😳

きっと何かの特別イベントがあったのだと思います🤭


同僚が皆日本人だったので、英語を使う機会はほとんどありませんでしたが、いろんな動物や人との出会い、ビーチでの体験など満喫した3週間となりました🥰


次はパースに戻ってからの思い出日記になります😌


日常の日記と合わせて、引き続き読んでいただけると嬉しいです🙇‍♀️

健康と医者と祖父😌

おはようございます☀️


いろんな方のブログを拝見して祖父の健康的な生活を思い出しました😌


すでに15年ほど前になります。

父方の祖父は、90歳で他界しました😌


カナダでの半年ほどの生活を終え、アメリカを少し旅行後帰宅した数ヶ月後に起こりました。


医者嫌いの祖父母で、病院へはおそらく、その最後にカラダが動かなくなってしまった時が最初で最後なのではないかと思います。


幼少期から病院へ足を運んだという話は聞いたことがありません。


年末にアメリカを離れ、2008年の元旦に帰国。

その後直ぐに実家に祖母から助けを求めた連絡があり…。


両親の話だと、彼らを訪ねた12月は元気だったようです。


祖父は両親への手土産として、九州名物を買いに街まで歩いて出かけたそうです。片道30分ほどで、12月にしては暖かかったようで、汗をかいて戻ってきたそうです。


両親が帰宅後、急に冷え込み、肺炎になったのではとのことでした…🥹


帰国後直ぐに祖父を訪ねて病院へ❣️

眠っていた祖父に声をかけて名前を伝えると、祖父の最後の力で手を握り返してきたことを覚えています。


頭もカラダも直前まで元気だった祖父。

幼少期の記憶では、「じいちゃんは毎日1ページずつ、辞書に書かれたことを覚えていくんだ」と漢字辞書だったか国語辞典だったかを毎日欠かさず見ていた記憶。


早朝に、祖母を起こして毎朝緑茶を飲む祖父。


お酒🍶を毎晩グラス1杯飲む祖父。


畑仕事をする祖父。


それらが全て元気で健康的な源だったのだと感じています😌


現代は、スマホ依存症、小学校でもiPadやパソコンなどの授業でレストランへ行っても、ネット登録すると割引になったり、注文も全てiPadになっていたり…。


現代病がどんどん増えつつあるけれど、祖父と同様私も医者は苦手…。


特にオーストラリアは、咳が続いたり、ちょっとした頭痛でも血液検査をしたがる…💦


昔は街医者への医療費は特別な検査でない限り無料だったが、それでも2-3の血液検査ごとに血を抜き取られるのは、貧血気味の私には嬉しくなく…。


対応策が見つかるのであればまだしも、結果はいつも血液検査に問題なし、でさらに別の血液検査を要求される始末…😵‍💫


健康に問題があっても、医者に行こうとは思わない。


一時的な不快解消には、マッサージがよいが、生活習慣を改善しなければ、マッサージは一時的なものでしかない。


よい整体師を見つけて通えば、体調改善方法が見つかるかもしれないけれど、そういった「よい整体師」を見つけるのも難しい😓


「病は気から」という諺通り、祖父は上記に挙げた習慣と合わせて、気力で元気に生きていたのだと思う。


ただ、恒例になると免疫力は若い時ほど働かなくなり、風邪をこじらせて肺炎になってしまったのではないかと思う🥹


60-70でもある程度の不調は、生活習慣の見直しで変えることができるのかもしれない😌


祖父はよく歩く人で、祖母もじっと家に籠るタイプの人ではなかった。


それが私にも弟にも遺伝しているのかもしれない。私たち姉弟はよく歩く😅


溢れかえる情報の中から、自分に合った健康法と90年という長い人生を健康で過ごした祖父の生活習慣を合わせて、元気に健康的な生活を送りたいと思いながらの生活。


いつまで続くかわからないけれど…😌

健康、心とカラダは繋がっている

おはようございます☀️


私は幼い頃から、カラダが弱かった母の健康に対する意識した生活の中で育てられ、中学生の頃には、自身も健康に対して興味を持って生活していました。


中学生の頃、ある時友人に夢を聞かれ、どこから出てきたアイデアなのか全くわかりませんが「薬剤師👩‍⚕️」と答えた記憶があります🙄


中学生の頃から理科は好きな科目のひとつではありましたが、なぜ薬剤師と答えたのかは未だに不明です🫢


高校に入り、薬学部を目指すも、英語が苦手で入学できずに農学部に入学、そして卒業。


研究室では植物から天然の薬を作ろうと試みる実験を行っていました😅


大学卒業後は、海外を旅しながらの生活✈️🚌🚃🚈🚢


派遣社員として、関西圏の製薬会社で働いたこともありました。


海外では健康とは全く関係のない生活をしていたような中、何がきっかけかは忘れましたが、アイルランドへ行く前に、いくつかの学校を調べて、解剖生理学を学べる学校を探して連絡を取りました😅


個人経営の小さな学校をチョイスして入学し、週1で半年ほどの学習。


終了後、セラピストの講師から引き続きアロマセラピストのコースを受講することに決め、同じく半年間筆記と実技を教わり、資格試験を受験し資格取得。


その時はセラピストとして働くのが目的ではなく、自分の不調をハーブオイルを使って軽減するのが目的でした😌


事実、解剖生理学の授業中に、セラピスト講師に👩‍🏫

「頭痛に効果的なオイルは何がありますか?」などとよく質問🙋‍♀️してました😅


それがきっかけで、もっとハーブオイルについて学びたいと思うようになり、アロマセラピストの授業を受けることに決めました。


前置きが長くなりましたが、その授業中に受けた情報のひとつで、「心とカラダは繋がっている」ということです。


どれだけ素晴らしい効能があるエッセンシャルオイルでも、使用する本人が好まない香りであれば、効果は全くないのです😱


そのよい例が、講師のお母さま、セラピストの娘がカラダに良いからと薬のように信じて使い続けていたそうですが、香りが苦手だったようで、全く効果が出なかったそうです🫢


最近オンラインでいろんな情報を見たり聞いたりしていると、食品なども同じようです🙄


苦手な食品は、食べても、栄養にはならず、カラダから排除されてしまうそうです🫢