世界50ヵ国以上を旅した思い出

高校生の時に初めて海外へ行き、その時から旅の虜に✈️🧳

2005年の渡豪、ワーホリ③

ロットネスト島での主な仕事は食材のカット、お客さんへの料理のサーブ、お客様が帰った後の片付けとお掃除、ゴミ捨て。


まあ、どこのキッチンハンドも同じような仕事。


お客さんが帰った後は自分たちの夕食🍽️


私が働き始めたときには、たまたま辻長出身の女性が1人いて、彼女がほぼ毎回美味しい賄い料理を作って来れたり、お客さんと同じ残り物を食べたりといった感じで、自分で作ることはほぼなく美味しい楽ちん夕食だった😋


朝食も仕事が入っていればお客さんが帰った後に朝食。仕事が入っていなければ、自分で適当にサンドイッチなどを作って食べた😋


休みシフトのときは、食材は全て業務用のウォークイン冷蔵庫にあるものを使用して良かったので、ハムやサラダなどを入れたサンドイッチを作って食べることが多かった😌


ランチも同様で、自分で好きな食材を使って作って食べることができた。


ガッツリ食べたい時は夕食の残りなどがあればそれも食べれた。


食費も宿代も込み込みで差っ引かれた状態での手取り$3.5/hは悪くない環境。


週3-4日ほどの就業だったと思う🙄


タダで観光できて、お小遣いが貯まる3週間の宿泊となった🏝️

2005年の渡豪、ワーホリ②

フェリーでロットネスト島へ到着後、これから一緒に働く予定のスタッフみんながフェリーターミナルにお出迎え💓


フェリー乗り場からは皆で歩いて職場兼宿泊先へ❣️


到着後、ボスと対面し、説明は彼女たちからあるからと、日本人スタッフからの宿泊先の説明と仕事の説明。


ボス以外は全て日本人で仕事中に英語を使うことはほとんどなかった…😳


まあ、最も日本語で募集していた仕事に応募したから仕方がないけれど…🥹


3週間の島での生活が始まった😌

2005年の渡豪、ワーホリ①

2003年にタイ経由で日本に帰国後、日本ではホテルや電話業務のアルバイト、派遣社員として働いた後、再び渡豪。


日本で知り合ったオーストラリア人の「オーストラリアに来て働いてみては?」


と言う言葉でワーホリビザを取得後パースへ✈️


到着後、仕事探しには携帯が必要ということで、知り合ったオージーにお手伝いしてもらい携帯を購入。


が…


当時の携帯、日本で見たこともないような手のひらサイズの分厚くて楕円形の小さい携帯…😱


子供用の携帯⁉︎😵‍💫


おもちゃ⁉︎😰


と思えるほどの小さいスクリーンで、使えるかどうか信用することができず、購入後にその人に実際に電話をかけてもらって、使えることを確認。


一応使えそう😮‍💨


購入時にお手伝いいただいたオージー曰く、「通話料が$10だか$20だかが付いてその値段はお得だよ」


っと言われて購入したが、お得感全く感じない当時でも日本だと博物館ものの古い機種…😵


まあ、でも知り合いもほとんどいないし、仕事の連絡先として使うだけなので、お勧めされるまま購入した。


パースではホステルに宿泊し、ホステル内での仕事を探すも🔍


「受付も掃除も今手一杯で空きがない」

「1ヶ月後には掃除の空きが出る予定なので、1ヶ月後に戻って来れば仕事をあげるよ」


とホステルのマネージャーに言われ、再び仕事探し。日本語で書かれた雑誌の求人募集欄で探す👀


ロットネスト島🏝️のキッチンハンド募集を見て早速携帯で連絡。


電話口のスタッフは日本人で、日本語での説明🫢


オーストラリア到着後、すぐに仕事が決まった😌


時給は税金引かれた後、$3.5とあり得ない値段。食費と宿泊費差っ引かれた状態での時給らしいのと、観光地なので、祝日は観光もできると言うことで、3週間の予定でバイト決定☘️(2005年前半当時の最低賃金は$15.92だったように記憶している😅)


実際キャッシュジョブではなく、$5の時給から$1.5の税金が引かれた手取りの時給だったので、食費や宿泊費も会社が税務署に処理している感じだった🤭


税務署への申請が必要になるタックスファイルナンバーが必要となり、後日休みの日にその書類を取りに行くためにパースに戻らなければならなかったので…😵‍💫


数日後に荷物をまとめてパースからフェリー乗り場へ移動してロットネスト島へ🏝️